■■■ ■ ■ ベートーベンを想う ■                           緑川ひかる 年末は、いつものように多くのホールで第九が流れていた。 ひかるも、あんまりベートーベンが好きではなかったころ、「でろでろ」と かりだされ、12月だけで10回も歌ったことがある。 この曲にベートーベンが託した「神性」は、日本でのお祭騒ぎの第九を 聞いていてもわからない。ドイツのアマチュアコーラスの第九にこそ その真髄がある。プロ演奏家のベートーベンの音楽はけっこう冷たい。 年輪を重ねたドイツの大人たちが、何年かに一回の「特別な機会」で 歌うのを聞くとき、その「神性」を垣間見ることができるのだ。 ベートーベンは、ためらいもなく言い切る。(苦悩はするが・・) 「神性に近づいて、その輝きを人類の上に拡げる仕事以上に 美しいことは何もない。」 「神は非物質である。それ故神は一切の概念を超えている。 神は不可見であるから形を持つことはない。しかし、神のさまざまな 作品からわれわれが認知するところとしてわれわれは結論する。 神は永遠であり全能であり全智であり遍在であると。」 そして、それがそのまま音楽になる。 ベートーベンが感じていた「神性」を一番感じることができる曲は? といえば、やはりミサ・ソレニムスニ長調(D−dur)であろう。 確信を持ったD−durの音で「主よ!」と呼びかけてこの曲は 始まる。D−durのDは実はデウス(神)のDなのだ。 おすすめ演奏は、カラヤンの2回目の録音。あのわざとらしい演奏が 多いカラヤンが、真摯にベートーベンの想いを受けとめているがわかる。 ぜひ、おためしあれ。 追伸:  この曲は5つの部分に分かれていますが、聞くのは前の3部でいい です。後の2部のできには、ベートーベンもきっと不満でしょう。 しかし、その不完全燃焼が、第九を生んだ、との意見もあります。