■■■ ■ ■ バッハの恍惚 ワーグナーの恍惚 ■                            緑川ひかる ひかるです。ひさびさにワーグナーの「イゾルデの愛の死」を聴きました。 「死によってしか真の愛は成就しない。」と言うためだけ(笑)に5時間も 延々と演じるオペラの、堂々たるフィナーレの曲です。 5時間ならまだいいです。同じワーグナーの「ニーベルングの指環」は、 「力を求める者は力によって滅びる。世界を救うのは愛のみである。」 と言うために4夜にわたって18時間も音を奏で続けるのです。 「トリスタンとイゾルデ」は、ワーグナーの和音の使い方に特徴が あります。音楽は節の最後にドミソの和音できれいに「解決して終る」 のが普通です。しかし、ワーグナーは節の最後に、きれいに終らない よう解決しない音を入れて、その音からまた音楽を展開し、聴く人を ずうっと解決しない不安定な状態に置きます。それによって、聴く人は だんだん精神が麻痺し、少しずつ「危ない」世界に入り込んでいき、 やがて「恍惚」に至るのです。それはそれは、快感なのです。 もう一人、恍惚に至る作曲家を挙げるとすると、それはバッハです。 不思議に思われるでしょうか? でも本当です。 バッハの音楽はとてもとても強固な構造でできています。ワーグナー のような「フワフワ」がないので、恍惚に至らないと思いきや そんなことはないのです。よくできたバッハのフーガは演奏するにも 自由度が少なくて、楽しくないという人がいます。しかし、それは バッハの神髄を知りません。バッハという人間を通じて、神が描いた、 人の世のものとも思えない美しい教会のような「構造」に浸ります。 人間が、「ここに行きたい」という音でなく、神の意志にそって 「ここに行くしかない」という確信を持った音に届くのです。 そのとき、「つきぬける」感覚を得て、恍惚を感じるのです。  「世界は、なんて、美しいんだろう!」